鴨田秋津の議員辞職の経過と舞鶴市長選挙への出馬。ふるさと舞鶴への想い

こんにちは。元舞鶴市議会議員の鴨田秋津です。

まずは先の市議会議員選挙で2,416票という負託をいただきながら、短期間での辞職となり、心からお詫び申し上げます。先に報道されましたように、舞鶴市長選挙に挑戦する決意を固めましたことが辞職の理由です。以下、経過を説明いたします。

●出馬を決断した経過
財政悪化、著しい人口減少、基盤産業の衰退、地域医療の後退、市政の中枢である市役所の閉塞感などなど、現市政は舞鶴市の現状を危機的なものにしています。私は平成30年に舞鶴市議会議員選挙に立候補し、初当選しました。

議会に入ってからはっきり分かったことがあります。それは現状に至った原因が、市民が主役であるべき市政が、極めて独善的な体質のもとで行われていることです。側近をイエスマンで固めたうえで、自らの意にそぐわない者を排除している実態でした。

また、本来ならば、市政を厳しくチエックすべき市議会の多数を占める会派が、その機能を放棄して完全に与党化し、市長提案には100%もろ手を挙げて賛成という事態です。裏切りも多く経験してきました。

そのような体制に対し、1期4年間、代表質問等を通じて市長の政治姿勢や政策を正し、追及してまいりました。議員本来の責務である是々非々の立場を一貫して示す度に、いつしか市民の皆様から「市長を変えて欲しい」という要請をいただくようになりました。

市議としての任期が終わりに近づくにつれ、その要請は日を追うごとに多くなり、期待に応えるべきか熟慮を重ねてきました。しかしながらまずは志のある同士を擁立し、仲間を増やすことが先決であると考え、同僚会派の現職と新人2人の候補と共に、令和4年11月執行の舞鶴市議会議員選挙2期目の挑戦を決意。現職1人、新人2人の初当選と併せて自身も再選を果たすことができました。

選挙後は、市長になってほしいというお手紙や直接の声を多数お聞きする中で、改革への期待の声を寄せていただきました。同時に舞鶴市政への憤りと現状の政治に対する怒りの声を改めて深刻に受け止めました。

そうした中、令和5年1月6日の新聞報道にて舞鶴市議会議長の不祥事が発覚。議長が即日辞任するという不名誉なニュースが全国を駆け巡りました。この件はニュースに至るまでにも、様々な経過がありました。これまでの市政に対する政治不信に追い打ちをかけるように、市議会への信頼の失墜。もはやこのまちの政治に誰も希望が持てないと震える程の強い憤りと怒りを覚えました。

そして同日の6日、同僚会派の議員の皆様からも強い出馬要請をいただきました。会派の幹事長として、また党舞鶴市支部長の立場として、新人2人を引っ張っていく立場ですから、当然のことながら市議の任期を全うすることが使命です。しかしながら同僚会派からの「幹事長が議会から離れることの不安は大きいですが、それ以上に舞鶴市のために覚悟を決めてください」という強い要請でした。

市政を変え、議会も活性化させる。そして何よりも希望が持てる舞鶴市を市民の皆様と共に創っていく。今こそ政局を動かし、本当に多くの市民の皆様の声に自分が応えなければ、政治家としての存在意義がないと考え、立候補を決断した次第です。今、行動を起こさなければ、必ず自分の政治人生に禍根を残すことになるとも思いました。「今」というタイミングは2度と来ないからです。

●無所属での出馬について
現職は与党会派にあからさまにすり寄り、自分の意にそぐわないものは排除する政治を行っています。議会を通して、その政治姿勢を誰よりも最前線で見てきました。広報まいづるで「少数派の公約は全く実現不可能」などと少数意見を軽視するようなコメントを掲載したことは記憶に新しいです。
 
私は、市長とは一党一派に偏するものではないと思っています。当然ながら市民には、それぞれの支持政党、宗教など考え方は多種多様です。しかしながら市長はすべての市民に寄り添い、市民福祉の向上を実現していくリーダーでなければいけないと承知しております。

また議会においても、様々な政党から多様な主張があります。足の引っ張り合いではなく、それら市民の代表である議員・議会の主張と建設的な議論を交わし、あくまで「政策で合意できるところは合意する」それが本来の地方議会の役割であると理解しています。

これらが無所属での出馬を決めた理由です。なお、日本維新の会とは政策協定中です。身を切る改革、次世代への徹底投資などを公約に掲げます。